国土地理院が公開した1936年の航空写真で東京の街をマニアックに楽しむ

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2017年4月28日、国土地理院は戦前の1936年(昭和11年)頃に撮影した航空写真519枚をつなぎ合わせた東京23区の航空写真を公開しました。

この空中写真、現存するものとしては最も古いもので昭和初期の東京がどんな街並みだったのかがひと目で分かることから昔はどんな土地として活用されていたか調べたいときや学校での教材としての利用法が主に想定されています。

関東大震災から復興し東京大空襲で壊滅する前のいわゆる「戦前」の東京の姿が見られる非常にレアな写真ということもあって高い価値があることは間違いないですね。

昔の航空写真が好きな私がそんな1936年の航空写真をマニアックに楽しんでみました。

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使い方

とその前に使い方をレクチャーします。

まずは国土地理院のホームページから、一番上のバナー「地理空間情報ライブラリー」にある「地理院地図」をクリックします。

すると日本全体を写した広い地図が出てくるんですが、ここで東京をズームアップさせていきます。

そして画面左上にある「情報」をクリックし、「空中写真・衛星画像」を選択しちょっと項目をスクロールさせて1936年頃」をクリック。

するとこんな感じで1936年ごろの東京上空の写真が表示されます。

拡大が足りないと地図が青く表示されてしまうので、さらに拡大をします。

それでは東京の街をマニアックに見ていくことにします。

汐留と築地市場

豊洲に移転するかが今問題となっている築地市場は今から82年前の1935年に開場。

ですので1936年の航空地図にもしっかり写っています。

そりゃ築80年にもなる建物が2017年の今も築地の地に現存しているわけですから、30年くらい前から新しい市場に移転しようじゃないかって話にもなりますよね。

そしてお隣りにある白くて細長い屋根がたくさん並んでいる場所は汐留の貨物駅、現在の汐留シオサイトです。

日本に初めて鉄道が開通したときの新橋駅と同じ場所にあります。

当時の貨物輸送は鉄道が担っていましたので汐留の貨物駅から築地市場へも線路が伸びていますね。

長い貨物列車でも荷卸しできるように、築地市場のプラットホームをカーブさせて距離を稼いでいます。

このプラットホームは2018年現在でも線路が撤去されただけで建物は現存しています。

白く塗られている場所は?

そのすぐ下、明らかに不自然に白塗りになっている場所があります。

これは今の地図を見ると分かる通り、浜離宮恩賜庭園がある場所ですね。

当時の航空写真は帝国陸軍が撮影していましたので、主に旧皇族のお住いや皇居(当時は宮城)、明治神宮(明治天皇をまつっている)、新宿御苑(当時は皇族のゴルフ場)といった軍や皇族関係の施設は公開する前に軒並み塗りつぶされています。

軍事上知られてはいけないので隠されているというわけ。

晴海ふ頭

2020年の東京オリンピックでは選手村になるのがここ晴海ふ頭。

まだ埋め立てられたばかりで何もありませんね。

当時月島4号地と呼ばれたこの埋立地、1940年に※皇紀2600年記念日本万国博覧会という催しのメイン会場として使われる予定でした。

のちの大阪万博並みの規模で、半年間の会期で4500万人の来場を見込んでいたそうな。

他にもこの年は東京オリンピックも開催する計画があったんですが、翌1937年から始まった日中戦争の激化により全てあえなく中止。

幻の万博&オリンピックとなってしまいました。

それにしても当時の万博ってどんなものを展示する予定だったんでしょうね。

そして2020年東京オリンピックも都知事のゴタゴタで幻となってしまうのか・・・成功することを願っております。

※皇紀:初代天皇、神武天皇が即位した年を元年とする紀元。

世田谷区内

現在は鉄道路線がたくさん通り高級住宅街が広がる世田谷区内。

なんと1936年当時は農地が広がる田舎の風景を色濃く残していました。

そう、当時の東京市の人口は650万人、世田谷区の人口は20万人。

市街化は世田谷区までは進んでいなかったんですね。

ちなみにここは今の砧公園周辺です。

この場所が発展するのは戦後の高度経済成長期になってからのことです。

鉄道会社が乗客を増やすべく田舎を開発し住宅を増やしたことで人口が急増しました。

品川台場

写真がないエリアには地図が表示されています。

なんと、まだ第一台場から第六台場まですべての台場が現存しています。

左下にある未完成だった第四台場はこの当時民間に売られて造船所があった頃でしょうか。

既に周囲には埋め立て用の護岸が設置されています。

写真から3年後の1939年に第四台場は埋没してしまいます。

この埋立地は現在の天王洲アイルです。

そして第三台場は第六台場とともに史跡となり、既に整備されて台場公園になっています。

「品川台場史考」という書籍によりますと、この当時は田町から船で訪れていたようです。

各台場には船着き場がありますが、すでに使われなくなっていて接続されている防波堤から歩いて公園に上陸していたと記載がありました。

川だらけだった東京駅から銀座

東京駅から銀座にかけては数多くの川が流れていました。

これは江戸の街を開発するときに海を埋め立てて土地を作るときに江戸城を守るため、あとは深川あたりから江戸に船で物資を運びやすくするために水路を張り巡らせた名残。

今では高速道路が縦横無尽に通っていますが、土地の買収を少なくするためにこの川を埋め立てたり、上に橋をかけたりして造っていきました。

完全に川の場所と首都高の場所が一致してます。

西新宿

1936年と今とで街の姿が変わった場所といえばやっぱり西新宿が挙げられますね。

当時の西新宿と言えば・・・やっぱり目につく浄水場!

これは「淀橋浄水場」という名前で、このあたりの地名が「淀橋」だったことからついた名前。

家電量販店でおなじみ、ヨドバシカメラもやっぱり同じ理由で付いた名前ですね。

この浄水場は1965年に東村山へ移転した後、この跡地に高層ビルがニョキニョキ生えてくることになります。

一番古い京王プラザホテルが1971年開業ですから、もうすぐ築50年ですよ!

今日本で走ってる一番古い電車くらい長い間新宿の地を見てきてます。

新宿駅にくっついている施設、これは東京地方専売局淀橋工場といってたばこを作っていた工場ですね。

いまでこそ外国産たばこがたくさん売られていますが、80年前は国産たばこしか売られていなくて全国各地にたばこ工場がありました。

芝公園

今でこそ芝公園周辺にはホテルや東京タワーが建ってますが、1936年当時は本当に全体が公園になってました。

増上寺や芝東照宮は今も昔も変わりませんね。

その間にあるのが台徳院霊廟と呼ばれる、江戸二代将軍徳川秀忠のお墓です。

戦災により消失してしまいました。

そして東京タワーがある場所はうっそうと森のようになっていますが、ここは芝公園の20号地で、紅葉館と呼ばれるものすごく広い高級料亭がありました。

これもやっぱり戦災で消失。

跡地は日本電波塔株式会社が買い取り、この場所に東京タワーが建設されました。

小高い山の上にあるので見晴らしが良いのと、地盤がしっかりしていることからタワー建設にふさわしいとこの地が選ばれました。

さいごに

やはり地図、航空写真、史跡マニアにとってはこの古い航空写真は面白いですね。

軽く2時間くらいは暇をつぶせてしまいます。

この記事も一つのきっかけにして、航空写真マニアが増えてほしいと心から願っております。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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